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岡山墓地(湖上が丘)の松の由来
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岡山墓地(湖上が丘)の松の由来
本多俊次の10男鎮後は、九州柳川の立花家に養子に行きました。立花家が幕府にキリシタンの疑いをかけられてきたため、膳所藩への累が及ばぬよう再び膳所に戻りました。膳所藩もすんなり受け入れ出来ず城下の西の丘陵に庵を建て、柳川から従ってきた岡山左平治と住まわせました。不遇の生涯を閉じた鎮後に幕府にはばかり満足な墓も建てられなかったため、代わりに一本の松を植えて菩提をとむらったと言われています。松は今も岡山墓地(霊園)(湖上が丘34番街区)にひっそりと立っています。
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