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逢坂山関跡(大谷町)
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逢坂山関跡(大谷町)
逢坂越(おうさかごえ)は、平安時代、都(みやこ)と東国・北国を結ぶ交通幹線の東海・東山・北陸の三道が集中する交通の要衝でした。そのため、弘仁元年(810)、不破(ふわ)・鈴鹿(すずか)と並ぶ三関の一つがおかれ、平安京を守る施設として、非常時には固関使(こげんし)が派遣されて警固にあたっていました。現在、大谷町の国道一号線の旧逢坂山検問所(大谷町22番街区の東側)付近に関跡の碑がたっていますが、関所は関寺(せきでら)の近くにあったとする資料が多いので、その位置は、跡碑よりもっと大津寄りであったと考えられます。
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