毛知比神社(里5)
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鎌倉時代には、市内各地に荘園が存在していましたが、田上庄(たなかみしょう)もその一つです。古くは藤原宮や石山寺(いしやまでら)の造営材木が伐り出された杣山(そまやま)の里でしたが、鎌倉時代になると京都の公家近衛(このえ)家や、朝廷の修理職(しゅりしき)を領主とする荘園となっていました。それら庄民の信仰の対象となったのが毛知比(もちひ)神社(里町5丁目7−20)です。神社は建部(たけべ)社の別宮として田上里(さと)町に創建されました。社名の由来は、村人が神供に餅(もち)を奉ったことから、餅宮と称したことにはじまります。
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